卒業、就職、趣味と競技者の狭間で
こんにちは。
名古屋大学2014入学/OLCルーパー/GROK所属の南河です。
僭越ながら、全日本2022の記事執筆にお声かけいただき、筆を取りました。
競技者目線で、この大会で結果を出すために、ここに至るまでの1人の競技者としての軌跡を記します。
自分への記録の意味合いも含めかなり長文となりますが、お付き合いいただければ幸いです。
(事前の雨予報をものともせず、晴れた会場と富士山)
【目次】
1.動機
〜趣味と競技者の狭間で〜
人はいつオリエンテーリング競技から引退するのでしょうか。
学生を卒業した時でしょうか、社会人になったらでしょうか、結婚したら?、子供が産まれたら?
自分の中の情熱を忘れた時ではないでしょうか。
私は大学4年の時は間違いなく、日本のトップオリエンティアと鎬を削っていました。
当時の自分のモチベーションは、選手権リレーで勝つ事。そのために自分がクラブの為に何が出来るか、自問自答し磨いていました。
チームでオリエンテーリングする為に私が考えていた事 - オリエンテーリング
結局インカレは個人戦もリレーもどちらも表彰台に立てはしたもののチャンピオンにはなれず、少しの悔しさと後悔を抱えながら、多くの人がするようにそこに至るまでの軌跡を振り返り納得をつけ卒業しました。
そしてインカレを終え、闘う理由がなくなり、院生の2年間は後輩指導や付き合いで、明確に上を目指す事もなく、細々と、いわゆる"趣味"の範囲でオリエンテーリングを続けていました。
そして就職して社会人になり、同時にコロナウイルスの流行。会社の縛りがかなり強い事、また病気がちで先があまり長くなさそうな祖母に会いたい為に私は最低限の買い出し以外は完全自粛をする模範的国民になっていました。
また自粛生活の煽りを受けて、就職した食品メーカーは普段の稼働率以上の生産を求められており、研修生という融通の効く労力の我々は3交代制で工場労働者を勤めていました。
くたびれたスーツを着て家と会社or工場を往復し、本を読み、漫画を読み、アニメを消化し、流行りのゲームに一喜一憂し、酒を呑んで寝る。
卒業して、愛知を出た事で現役生との関係もなくなりオリエンテーリングの機会もほとんどなく半年以上が過ぎました。
「あんなに生活の中心だったオリエンテーリングも、無いなら無いで充実した日々を送れるんだな」
と、自分の中でどんどんオリエンテーリングが色褪せていき、そのことに自然と何の抵抗もありませんでした。
その頃に、たまたま気分転換にパークOに出るも、辛過ぎて公園内で歩いた事を今でも覚えています。
(レース中ぶち抜かれた朱雀の森河選手に"大丈夫ですか?"と心から心配される)
昔の貯金で全日本の出場資格だけは持っていたので、せっかくだからと直近1〜2ヶ月70〜80km/月程度トレして誤魔化し出場。
まともな準備ではないのに、昔のプライドなのか当日だけは一丁前に勝つつもり。現実は、勝負の世界は、全日本は甘くない。
表彰台を遠くで見つめる。
"仕事、忙しかったしな"
"オリエンテーリング頑張っても食べていけないしな"
"あまり走ってない割には良い順位じゃない?"
"昔速かった〇〇選手よりは上じゃん!実質〇〇!"
…………………
"いいなぁ…"
負けると悔しい。勝った選手が羨ましい。
レースの直後は思うことが色々。
ただ、それが長く続かない。頑張りたいと思ったはずなのに、時間をなんとか作り、家から走りに出る一歩が出ない。
"しんどいし、別にそこまでやらなくて良いんじゃ無い?"
そして気づけばまた同じ事の繰り返し。
また迎えた翌年の全日本大会
年々上がる競技レベルに対してダラけた自分。
当然、箸にも棒にもかからない結果。
これまでの全日本であった、「準備してないくせにも関わらず湧き上がってきた悔しさ」すら湧かず、「どことなく自分の現状を言い訳に自らを納得させるような理由」を探し、結果を受け入れつつあった。
日常に戻る。
それなりに充実した毎日。
仕事の裁量も増え、やりがいもある。
他に熱中できる趣味もある。
そんな時ふとオリエンテーリングを振り返る。
「""本当にこのまま終わっても良いのか、自分?""」
そんな声だけがどうしても消えない。
充実してるはずなのに何故か無性に虚しくて涙が出てくる。
どこかやり切れずに留まったままの自分がいる。
卒業してここ数年のオリエンテーリングや全日本が全部苦しかった。
趣味として割り切ろうと思う自分と、自分の中の競技者としての矜持、その残ったわずかな情熱の狭間にいるのが辛かった。
いくら諦めの言葉を並べても自分の中のこのモヤモヤは、やり切るまできっとずっと消えない。
"この声が消えない以上、もうやるしかない。もう1度だけ、真剣に頑張ってみよう"
この覚悟を決めるまで、弱い自分と戦うのに何年もかかった。
でも決めたら一瞬、戻ってる暇はない。
5年ぶりに競技者として、自分の全日本2022に向けた一年が始まった。
2.トレーニング
目標設定
トレーニング計画を立てるにあたって全日本の目標を設定しました。
目標:全日本ロング入賞
理由
ミドルは不確定要素が大きく、狙いにくい。
(消極的な設定に見えますが、ニューテレインに近く、求められる技術的要素が不透明で当日のギャンブル要素が高い。距離が短くワンミスの影響がかなり大きい。全日本だとハマると速い選手の母集団が大きく、そういう選手の何名かが表彰台に入る可能性が高い。2日間レースで初日にメインを持ってくるとモチベーションの維持が難しい。等の理由からです。)
その反面、ロングは大ミスをせず、足が速く体が強ければ入賞出来ると感じていました。
そもそも全日本ロングクラスの距離のオリエンテーリングをする機会はほとんどなく、それに適応した距離のトレイルを走破するトレーニングを積んでる母集団が少ない≒ライバルが少なく、目標に対するトレーニングの恩恵を受けやすいと考えました。
私自身、学生時代はフィジカルが売りの選手でもあったのでこの路線が最も可能性を感じたのもあります。
その為、この1年間はフィジカル強化を中心にトレーニング計画を設定しました。
具体的なトレーニング内容【土台作り】
【約3〜10ヶ月前】
①ジョグ
②筋トレ
③インターバル走
④オリエンテーリング(量×確立)
①ジョグ
当たり前ですが、最も大事なトレーニング。
走る習慣を付けるところからスタートしました。
距離も最初は5km前後、続けられる距離×ペースで好きな音楽聴きながら。
"トレーニングがしんどいから外に出たく無い"というマインドを消し、トレーニングの習慣付け×トレーニングの為のベースの体力作りが狙いです。
②筋トレ
ジム契約しました。
昔と比べるとすっかり足が細くなり、怪我予防の為にも下半身周りを中心にウェイトトレーニングをしました。
雨の日もトレーニング出来ること、風呂とサウナがついてるので回復したい時にも重宝しました。
怪我で走れない時はひたすらバイクを漕ぎながらウマ娘観て士気を高めていました。
③インターバル走
1月のJOA合宿の帰り、方向が同じ寺垣内選手と帰っていました。上記に記載した私の悩みを親身に聞いてくれたのを覚えています。
それが理由かはわかりませんが、彼が週1度参加している小田原ナイトランナーズ(元箱根選手が開催するランニングサークル)に誘って貰いました。
メニューは週替わりで
400m×12本、1000m×5本
(両方繋ぎは200m50〜60sほど)
藤沢に住んでいる練馬OLC前中選手も同時に入会しました。
全日本優勝を掲げる彼とトレーニング出来ていた事はフィジカルのトレーニング効果以上に自分のモチベーションにとても大きな影響がありました。
④オリエンテーリング(量×確立)
オリエンテーリングが速くなるにはやはりオリエンテーリングをするのが1番です。
まずは質より量をこなす事を目標にしました。
量をこなす意図としては大きく
●全日本ロングに向けた脚作り
●失われたナビゲーション感覚を戻す
の2点の理由からです。
基本的に週末にオリエンテーリングの予定を入れるのはもちろんですが、合宿にも積極参加し全メニューをこなす事を目標にしていました。
(それでもコース距離15km/日くらいですが…)
また自分の中で適したオリエンテーリングの確立を目指しました。
●レースの入り方
●ナビゲーションスタイル
●テレイン相性
レースの入り方は初めからトップギアで入るのか、ゆっくり入るのか。
ウォーミングアップに何をするのか、どれくらい時間をかけるのか。
固形物は何時間前までが合ってるのか、カロリーはどれくらい、カフェイン摂取はどうか。
ナビゲーションスタイルはシンプリファイしてスピードを上げるのか、モノを拾いながら確実なナビゲーションをしていくのか。地図→現地、現地→地図の割合は。
テレイン相性は自分の得意・苦手はもちろん、上記と組み合わせそれぞれのテレイン特性にあった自分のナビゲーションの仕方は。
毎レースにそれぞれ条件を変え実験し、自分に合ったものの確立を目指しました。
【実例】
ラフ⇒ファイン
一般的には、ラフ区間は特徴物を拾う数を減らして巡航を上げファインな区間は丁寧にこなすようなナビゲーションで、脚に自信のある自分に適しているように感じます。ただ実際はラフ区間での事前のcp設定が甘くオーバーランしたり、速く行く事に意識が先行してしまい脱出方向や、なんとなくでこなして結果遅くなる場面が多々あり、ハマれば速そうですがこの路線はかなり怪しい感じがします。
(自分の中で楽しくオリエンテーリングするなら断然こっち派ではあるのですが。。笑)
フルナビゲーション
ここでは自分の現在地を常に把握しながらオリエンテーリングするタイプを指します。
技術派のイメージがあり、また他人のミス待ち感があり自分の性に合わない感じもしましたが、何度か試しても結果は断然こちらの方が良かったです。
その為、ベースとなるモデルはフルナビゲーション、出力する区間は死ぬ気で走る、そういうスタイルに収束しました。
具体的なトレーニング内容【直前期】
3ヶ月前から上記のトレーニングに加えて下記メニューを増やしました。
⑤トレラン
⑥閾値走
⑦読図走
⑨減量
⑤トレラン
全日本ロングに耐えうるレベルの体を作る為になります。
具体的には内容は下記2つ
●30km程度のゆるトレラン
●15〜20km程度のトレランレース
身体を作る意図と、全日本ロング同等距離のレースでしっかり追い込みをかける意図がありました。
(親の顔より見た丹沢山系)
⑥閾値走(LT走)
インターバルトレーニングの後半やファシュタなどでガス欠のようになり走れなくなる事がしばしばあり取り入れました。いわゆる乳酸が溜まり動かない感じです。
調べれば簡単に出てきますが、下図で説明すると血中の乳酸濃度が上昇し始める値がLT1、いわゆる無酸素運動のように急激に乳酸濃度が上がり始めるのがLT2になり、この間の運動強度でトレーニングを行い、血中の乳酸処理能力を向上させる練習になります。
感覚的には、全力の8〜9割程度のスピードで走るということになります。
私の場合は、3:30〜3:40/kmペースで10km前後走るトレーニングをしていました。(長男だから出来ましたが、次男だと厳しかったかもしれません)
⑦読図走
詳しくは3.対策で
⑧体幹トレーニング
全日本ロングチャンプの伊藤樹選手の体幹メニューを全日本1ヶ月ほど前に教わり毎日やりました。
詳細は伏せますが、思ったより程度はしんどく無く1日15分程度で毎日継続しやすいものでした。
継続出来る負荷に抑える事で心理的ハードルを下げる、というのは意思の弱い自分にとって毎日やるトレーニングとしてとてもやりやすく、効果的でした。
⑨減量
登りは軽さが正義です。
その為、筋肉量は落とさず体脂肪だけ削る必要がありました。
具体的には食事内容の見直しです。
お酒、ジュース、お菓子等嗜好品はもちろん、ラーメンや揚げ物なども基本的には取りません。
高タンパク低糖質(タンパク量は120g/日目安)に置き換え、インターバルの日や、レース前を除き、3食のうち1〜2食はお米やパンを除き、サラダ+お肉で食べていました。
札幌OLC大会で暴飲暴食を尽くした時がマックス67kg→全日本前日が61.5kgでした。
(180cm,61.5kg 体脂肪率6%、見た目は完全に不健康ですね…笑)
3.対策
テレイン研究
プログラムが公開されてからは得られる情報を収集していきました。
旧図に加えて、みんな良くやるであろう三種の神器を中心に対策を講じました。
●国土地理院地図
また今回はテレイン内の様子を全日本の公式インスタグラムが公開していましたので、出る度スクショ撮っていました。
(映えるけど走りにく過ぎる…)
プログラムのサンプルマップを見ると礫地チックなところ、地形情報が分かりにくいところなどかなり高難易度である事が予想されました。
読図走
自分のよくやるやり方なのですが、適当に⚪︎を地図に書いて、コンパスを持って走り、今の方角と地図を合わせてテキトーなレッグを作り読むというのを中心にしていました。
この時にミスしそうなポイントを抑えるのはもちろん、プランを立てる時によく出てくる特徴物やよく使う導線を抑えるようにします。
実際に使っていた地図。
⚪︎打ちすぎると読みにくいのでこれくらいに。
(ちなみに、ロングのスタートは南の上から予想でしたが、テレインプロフィールが最大標高1400mであったため、旧図ほどは上を使わないと踏んでいました。)
また、サンプルマップで細かい礫地が書いてありましたので走りながらパッと見た時の目の対応や、尾根沢の把握をしやすくする為に筏場の地図でもよく読図走していました。
4.本番
実力の確認
いよいよ本番間近。
当日のレースプランを練るにあたって、現時点での目標に対する自分のステータスの確認を実施しました。
●フィジカル
充分入賞相当の準備がある
●技術
大ミスを抑えるだけの力と、現地にあったナビゲーションを選択出来る
●不安要素
左足首に捻挫癖をつけ痛めてしまい、次レース中に捻るとレースを続行できない可能性アリ
といったところでした。
その為、当日も基本的には攻めのレースでは無く、自分のやってきた事を出すようなレースを大前提として心がけました。
【前日】
高地順応する為に前日入りしてました。
また普段人といる時はしょうもない冗談しか言わないので、その雰囲気のままふわふわとレースに臨んでしまわないよう、前日は1人で静かに気持ちを高めていました。
(自分1人しか泊まっていないのに朝からお風呂を入れてくれたお宿)
【ミドル】
ウォーミングアップエリアがあったので2時間前ほどからモデルイベントのように回っていました。
(赤で囲ったエリアがウォーミングアップマップとして公開された)
現地を見た印象としては
●A薮でも見通しがあまり良くない。
→地図上では見えてきそうなルート上の地形情報がもっと近くに行かないと見えてこない。
→ 現地→地図の落とし込みやリロケが普段より効きにくい
●足元は全体的に汚い
→方向がずれるリスクが高い、意識しないとスピードが落ちてしまう
●斜度はあまりキツくない
→走れる登りゆえにサボるとかなり差がつく
テクニカルな区間・汚い区間→登りの区間になった時のスピード回復の意識。
またスタート前に選手権ミドルのフィニッシュタイムや、会場に来る前の選手のテレインから道路へ出てくる場所を確認しようと思っていました。
ただ、待てど暮らせど選手は誰も現れません。
事前に序盤の技術派の有力選手としてマークしていた北見選手でさえ1時間以上経っても帰ってきません。
これらのことからミドルのレースプランとしては、
●プラン→実行
●ストップandゴー
●地図→現地>>現地→地図
●コンパス確認頻度を多く
●ランニング区間のスピード回復
を意識して臨みました。
またオリエンテーリングは明らかに並走が速いので、スタートリストから事前にパターン展開をいくつかシュミレーションしていました。実際に人に会った時に動揺してミスをしないようにする意図もあります。
●実際のミドルレース展開
△→1で地形イメージが合わずミスをしていたのにも関わらず、ここで朝間選手を回収(助けてあげる)
"彼はテレイン適正が合わずか、既に大ミスしているからあまり信用しない方が良いかもな"と考えましたが、その後は大ミスはなくラフ区間は彼が先行、アタックで南河が回収の流れがしばらく続きました。
暫く後、田邊選手を回収し、5番コントロールのアタックでもたついている時に本庄選手に追いつかれました。
(彼はコントロール周りでもほとんど止まらず凄まじいスピードで脱出していきますが、自分は事前の作戦通りそれにとらわれないよう注意します。)
本庄選手と田邊選手はルートが分かれたのか8→9あたりで姿が見えなくなり、また朝間選手との並走が続きます。
13→14→15あたりで朝間選手の挙動がおかしく明らかにズレた方向に走っていきます。
出し抜きポイントだったので、自分はつられず正しいルートをスピードを上げて姿を消します。
細かいミスもありましたがまとめ、16→17→18→19→◎はギアを上げる区間と踏んで作戦通りスピード回復するよう死ぬ気で走りました。
ルート図(途中で腕ぶつけてGPSとれず)
ラップ
(作戦通り:丁寧に。走る区間はしっかり走る。ということが色味と巡航で分かる)
【ロング】
2日間レースは1日目のレースが終わってからの過ごし方から始まります。
体力面、メンタル面、テレイン対策等やる事がとてもたくさんあります。
体力面はレース後のダウン、補給。風呂上がりのストレッチとケア。晩御飯の摂取カロリー等意識して過ごしました。(初めて一緒に泊まったOLKの後輩の子に、ご飯のおかわりしすぎで驚愕される)
メンタル面も、自分の場合は良いレースをした次の日が悪くなる(浮かれてミスをする)傾向がありましたので、ミドルの結果を忘れ、また宿で皆でワイワイするの好きなのですが、泣く泣く混ざらず静かな場所で地図を読んで過ごすようにしました(陰キャ。。。)
テレイン対策ですが、ミドルの結果を受けてロングの作戦を練り直す必要がありました。
鍵となるのは、難しい礫地エリアが含まれるのかどうかでした。
プログラムに記載さてれいる"本大会で使用する地図の一部"がミドルの範囲に含まれているのか(含まれていなければロングの範囲になる)を確認しました。
探したところ、ミドルの北の端のエリアに広がりがありそうなことがわかりました。
つまり、明日も礫地エリアを使用する可能性が高い事がわかり、ミドルのレースの振り返りを重点的に実施しました。
(緑丸が対応箇所。ちなみに青丸のところで等高線が切れているので、こちらより南西は未調査エリアだと推察され、ロングのビジュアル後の回しではミドルエリアに入ると予想。)
またロングもスタートリストで展開シュミレーションをしてました。
攻めず、淡々とレースをこなして終盤のフィジカルで入賞ラインに残る。
トレーニング計画を立てた時の目標プランのままレースに臨みました。
●実際のロングレース展開
△→1は丁寧に入り、
1→2でいきなりのロングレッグ。ハッチの走行可能具合が読めない事や、足元の汚いところは左足首の怪我のリスク、大外が明らかな負けルートではなさそうな事から左巻きを選択。
4→5あたりで、結城選手、伊藤選手に遭遇。
5番のアタックで前中選手を回収と想定通りの運び。
9番のファイループまでは並走し、猪俣選手にも追いつく。その後はパターンが分かれ15番のループ終点で再び前中選手・伊藤選手と遭遇。
15→17の登り区間で伊藤選手が出遅れ、理想展開通り上手くことが運んでいるかのように思えたが、アタック区間に入った時に、17番コントロールと27番コントロールを読み間違え、27番に向かう痛恨のミスタイム。
急いで17番に戻るも、道中で伊藤選手や朝間選手とすれ違いかなりマズい状況と理解したが、ロングなのでワンミス程度ならビジュアル後でも取り返せる、焦ってミスを続けない。同じようにこなす、と言い聞かせました。(結果的にはこの3:21のミスタイムが原因で入賞戦線から脱落)
20番で再び伊藤選手、22番で結城選手、猪俣選手に追いつきその後は抜きつ抜かれつが続きフィニッシュ。
ルート図
問題の17→27→17
(真横通ってるのに…)
ラップ
5.全日本2022を振り返って
【結果】
ミドル5位
ロング9位
当初掲げていたロング入賞には届きませんでしたが、ミドルで表彰台に立つ事が出来、公式ではないものの"2日間の合算では全体5位タイ"と自分にはとても良い結果に終わりました。
オリエンテーリングはタイムスポーツでありながら、他者との比較でしか結果を評価出来ません。
自分が頑張っている裏でライバルも頑張っているからこそ、努力が必ずしも結果に繋がるとは限らないこの勝負の世界で、ベストでは無いにしろ数少ない報われた選手になれた事はとても幸運でした。
全日本を目指し、終えて感じた事は、
プロでもなく、学生の時のように部に還元する為でもなく、ただ個人の矜持の為に準備してきましたが、
自分が入賞した時に、
"おめでとう" "南河の入賞は熱い" "おれもがんばりたい"
ライバルも、クラブの人も、久々に会う人も、そんな祝福の声をかけてくれる人が大勢いて
"社会人オリエンティアは決して孤独ではないんだなぁ"
と、
"オリエンテーリングを続ける限りきっとこの縁は残り続けていくんだなぁ"
とそう感じさせてくれました。
学生を卒業して社会人になり、競技者として続けるか悩み、毎年遠くから表彰台を見上げるだけの全日本。
プロとして活動する選手もいる中、仕事や自分の現状を言い訳に自らを納得させるような理由を探し、結果を受け入れつつありました。
でも、"本当にこのまま終わっていいのか自分?"そんな声が消えなくて、悶々とした気持ちに蓋を出来ず、"もう一度目指したい"と覚悟を決め、
そうやって準備してきたこの1年間、辛い時も折れそうな時もあったけれど、"無駄じゃなかった"、そう思える事がとても幸運で、皆の祝福が暖かく、本当に嬉しかったです。
6.今後
【目標】
今年の全日本の表彰台を目標にしていたので、今の明確な次の目標は定まっていないのが正直なところです。
ただ、自分としてはやっぱり勝負の世界が好きなんだと再確認出来ました。
今現在(2022年12月)は春インカレの準備をメインで、その後はまた改めて競技者として頑張っていきたいと思います。
【伸びしろ】
自分の伸び代として、今回の全日本を通して思った事はナビゲーション律速になっている事でした。
ミスをしないけれど、フィジカルを持て余してしまっている。実際ロングが終わった後も、例年より短い事もあったかもしれませんが、脚が完全に残っている状態でした。あと5〜6kmあれば入賞できていたかもしれません。
ただ、そのフィジカルもオリエンティア最上位層からは1枚落ちる印象でした。当たり前かもしれませんが、ベースのフィジカルをもう1段階上げる(まだ積めば上がりそう)、ナビゲーションスピードを上げる事でもう少し先の世界が見れるかもしれません。
【思うところ】
近年、日本オリエンテーリングと海外オリエンテーリングの距離が近づいていると感じます。
それは実況環境や日本人選手の頑張り等々があるかと思いますが、全日本の事前インタビューでは日本の二代エース伊藤樹選手、小牧弘季選手は、
"全日本は通過点"
であったり
"こんなところで負けていられない"と言った発言がありました。
もちろん彼らの目指す位置、戦う場所を考えれば当然の話ではありますが、国内の1競技者としては、"どこか悔しいような"、"一泡吹かせたいような"気になります。
ただ、そこを目指すにはそれ相応の覚悟が必要なので軽く口には出せないなと、思うところです。
自分に限らず、彼らにそう言わせない存在の選手が今必要なのだと感じます。
7.最後に
もっと、
おもしろい。
今年から出来た全日本のコピーですが、とても素敵ですよね。(私の好きな言葉です。)
私の知る限りの昔の全日本は、一部の競技指向の人の為に少人数の運営者がなんとかそのバトンを繋ぎ続けている印象で、学生にとってはインカレ>>全日本で、それ以外の人にとっては参加費が少し高い大会といったイメージでした。
今の全日本はそのイメージを払拭し、上記のコピーを体現出来るような大会になって来ていると感じます。ただ、これがいつまでも続くかは分かりません。
続ける為にも、運営者や競技者だけでなく、オリエンテーリングに携わったことのある人達が、"オリエンテーリングって、おもしろいんだぜ"と声を上げこの"灯"を消さない事がとても大切に思います。
(私の執筆したこの記事もそのわずかな一助になれば作成冥利につきます)
最後に、運営してくれた皆さん、一緒に高め合ってくれたライバル、トレーニングしてくれた人たち、初めましての遠征でも乗せてくれた人達、祝福してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
南河 駿
チームでオリエンテーリングする為に私が考えていた事
こんにちは。
今回アドベントカレンダーの担当になりました名古屋大学2014年入学、現在OLCルーパー/GROK所属の南河です。
他の皆さんがここに記載するような華やかな実績を持ち合わせていませんが、インカレ入賞経験や世界学生選手権の代表に選んでもらったりなどがあります。
では突然ですが、問題です。
問. オリエンテーリングで最も盛り上がる種目はなんだと思いますか…?
もちろんこの問いには様々な答えがあるでしょう。
どの種目もとても魅力的です。ですが、多くの人はこの問いに対して、「A.リレー」と答えるのではないでしょうか。(少なくとも私はそうです)
リレーの目標には優勝や入賞、完走など様々あると思いますが、やるからにはその目標を達成したいですよね。
リレーの走り方、走順、当日勝つためには様々な作戦があります。
リレーで勝つために/インカレスプリントの提訴の件 - オリエンティア Advent Calendar
では、作戦や組み方以前に、当日勝つためにチームの土台をどうやってそこにまで持っていけばいいでしょうか。
多くの大学、多くのチームがこの事に頭を悩ませているかと思います。
もちろんこれに対して明確な答えは無いと思います。ですが、この事に大学時代苦悩し続け向き合った私なりの考え・軌跡を僭越ながらこの場を借りてご紹介させていただこうかと思います。
偉そうな事をこれから書くのですが、一応2年間を通してチームづくりを意識してきた実績です。
(記載する事が活きているはず。。)
before) 2015年度
CC7 : 7位
山リハ : 学生内12位
選手権リレー : 8位
after) 2017,2016年度
CC7 : 4位(2017)、DISQ(2016年、隣ポペナ。タ イム的には4位相当)
山リハ : 学生内2位、1位(2017,2016)
選手権リレー : 6位、2位(2017,2016)
(写真 : 9秒差で優勝を逃したICMR2016)
目次
1.きっかけ
私がそもそもリレーを頑張りたいと考えるようになったのは私が2年の時の春インカレ:ICMR2015@星降る塩谷でのリレーがきっかけです。
当時私の部内での実力の立ち位置は3,4番手で、
一般クラス一軍の1走として選ばれ、当時4年生の2名と走る事になりました。
実力的には十分一般クラス入賞を狙える力のあるチームで、私は「絶対に入賞して4年生2人の有終の美を飾りたい!」と切に願っていました。
ですが、当日のレースはこの想いと反する結果でした。
当日のレース展開は今でも鮮明に覚えています。
スタート直後の大渋滞で靴を踏まれ脱がされ、ほぼ下位スタートしたものの中盤で先頭集団に追いつきました。ペース感覚的にも集団はかなりゆっくりで「(これなら全然出し抜く事が出来る!)」という考えがあったのですが、当初あんなに勝ちたいと思っていたのにいざその場に立つとミスが怖く自分に甘えて勝負が出来なかったのです。
そして結果我々のチームは4位で入賞を逃しました。涙する4年生2人を見て私は声をかけることも出来ず、寧ろ「南河はよくやった」という言葉に、自らの実力以前に肝心な所で勝負に出なかった口先だけの自分の不甲斐なさ、情け無さ、最後まで自分の事を気にかけてくれる先輩の心遣いに胸が張り裂けそうでした。
これをきっかけに自分のオリエンテーリング に対する姿勢は大きく変わり、個人としての憧れからくるモチベーションからクラブの為に戦いたいと考えるようになっていきました。
そして志を同じとしていた一つ上の代のHさんと選手権リレー優勝を掲げ何があっても頑張り抜くと、2度とこんな思いをしない、させないと決意をしました。
2.枠組みとシステム
チームでオリエンテーリング する為に必要だと考えたのは大きく分けて3つです。
①チームメンバー「全員」の実力の向上
②チームのモチベーションの維持・向上
③上2つを満たせる継続的なシステム
特にこの③は見落としがちになってしまいがちです(単発の練習会や合宿を企画・参加するだけ等)
③を組む上で意識した事は
- ハード過ぎず皆が継続可能(参戦しやすい)レベルである事
- 参加者としてだけでなく(享受するだけでなく)、当事者として参加してもらう事。
実際に実践した内容は簡潔ですが下記の2点です。
●週1度の高負荷トレーニング
元々、名大では週一度のレクリエーションに近いトレーニングとごく一部の有志によるトレ以外は自主トレがメインの状況でした。
その為、週に1度皆が参加しやすい曜日・時間・場所を設定しインターバルトレやビルド走などを実施する機会を設けました。
狙い:個々人のフィジカルレベルの向上+トレ後に皆でご飯を食べたり会話をしたりなどでの結束感やモチベーションの向上
●月一度の技術力強化・目標設定ミーティング
名大では毎週部全体でのMTは実施されていますが、決め事の話し合いや後輩指導の為の地図読みのみでした。
そこで、月一度の頻度で
・各自の月間目標(走行距離目標&大会目標)の設定&その達成度の確認
・ローテーションで2名のアナリシスを叩き台にし皆で討論&フィードバック
といった内容を行いました。
狙い:選手権だけでなく、それぞれのクラスでのモチベーション向上。多くの人数でアナリシス添削を行う事で当事者も周りも多くの知見を得ること。
またそれぞれを行うにあたって無理のない範囲で役割を各自に割り振ってお願いをしていました。
効率的には私が1人で行う方がもしかしたら良かったかもしれませんが、上で述べたとおり皆が帰属意識を持って主体的に当事者として参加してもらおうという意図がありました。
3.エースとして意識していた事
チームを引っ張る存在でありたいと思った自分が意識していたのは以下です。(エースを自称するのちょっと恥ずかしいですね。笑)
①誰よりも努力をする事
②努力を発信する事
③結果を出し示す事
④決して排他的にならない事
①・②に関して
走ってもいないのにオリエンテーリングで勝ててしまっている人がいると何だかやるせない気持ちになったり、「じゃあおれも頑張らなくても大丈夫か」なんてなったりしますよね。(もちろんこれを反骨に変える人もいるでしょう)
なので、努力している人がちゃんと速いこと。速い人がちゃんと努力している事は非常に重要です。
また、努力を隠す事や自慢しない事を美徳とする風潮は世間に確かにありますが、
チームスポーツにおいては「あいつが頑張ってるならおれももう少し頑張ろう」といった自らの努力が誰かの努力の後を押し、それがまた誰かの背中を押す正のサイクルを生むことが出来ます。
なので、努力は積極的に発信するようにしました。
③について
人は遠い目標ほど掲げるハードルが高く、出来そうな目標ほど掲げやすい生き物です。
つまり、目標に近い実力や結果があれば自ずとチームの士気は上がりやすいです。
(実際、2016年度は山リハの優勝を受けて選手権リレー優勝という目標にイケイケムードが部内に流れるようになりました。)
その為部内はもちろん、エースが他大のエースよりも速くあることは非常に重要で尚且つその結果を周りに示し、チームを鼓舞するようにしていました。
クラブを盛り上げる上で最も効果的な事は結果を出しそれを示す事です。
④について
自分を限界まで追い込んでいるのに周りがついてこないという状況の時、人は苦悩します。
ですが、その努力を周りに押し付けること、やらされた努力からは何も産まれず、個々人の主体的な努力でなければチームの向上には繋がり得ません。
その為、自分が頑張りたいと思ったチームを信じて待つという事がとても大事です。
また頑張る人は偉いですが、偉くはありません。どうしても速い人の発言は集団において強くなってしまいがちですが、部において所属する人は皆平等であり、そこに差はありません。実力を傘にかけるような態度では人は付いてこないだろうという事は留意しないといけません。
4.苦悩、後悔
自分語りです。
上記の事を意識する上で下記のような苦悩がありました。
●どんなレースをしても満足出来なかった。
上記のような事を意識し過ぎていた為、自分の結果がクラブの結果になると感じており、負けると吐きそうに、勝っても安堵こそあれど喜びは薄く、少しでもミスしたところがあったり巡航が負けているとそれだけでお葬式のような気分になっていました。
また、勝つ為のオリエンテーリングを意識し過ぎて、当時、「オリエンテーリングが好きですか?」という単純な質問に素直に答えられなかった事を今でも覚えています。
●怪我が続き空回りしていた。
オーバーワークが続き、3年のロングでは疲労骨折。3年のミドルリレーでは筋断裂+腸脛靭帯炎。4年のロングは踏み抜きで迎える、とまともに歩けない状態で痛み止め服用のインカレばかりでした。
それでもインカレへの思い入れが強過ぎて、普段の120%の力を出そうとして自滅し、なぜ自分はこんなに頑張ってるのに報われないんだ!という考えに取り憑かれていました。
当時の自分は努力の意義を履き違えており、自分の実力に目を向けず苦しい思いをすれば報われると勘違いをしていました。
真の努力は速くなるために行う事、本番は普段の自分の力を発揮する事、これに気づくのにとても長い時間がかかりました。もっと早くに気がつけば色々変わっていただろうなと今は感じたりします。
5.最後に
偉そうな事を色々と書きましたが、自分一人では決してありえませんでした。切磋琢磨して時にぶつかり時に高めあえる仲間に出会えた事は私にとって非常に幸運です。
ですが、これは当時の名椙に限らず私が関わったことのあるオリエンテーリングを嗜む者皆がそうであると私は思います。
こういった人たちに出会うことが出来たこのオリエンテーリングというスポーツを今は胸を張って好きだと言えることに幸せを感じます。
最後に、あまり文章を書くのが得意ではないので取り止めのない書き方になってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また会場でお会いしましょう。